靴屋のおじいさん

昭和30年台頃、幼い私は両親と東京は深川に住んでいた。木賃宿みたいな長屋に居を構えていたが、私は幸せだった。長屋には10軒ほど部屋があり、満室である。共同の炊事場には水道しかなく、煮炊きは庭🏡に出て、七輪を使っていた。土間には広い風呂釜のような洗濯場があった。どの部屋の住人も、私に優しく、だっこちゃん人形を山程持っている夫婦は、いつでも私にだっこちゃんを貸してくれたものだ。うちにはない白黒テレビでひょっこりひょうたん島オオカミ少年ケンを見せてくれたオジサンもいた。だが、私を一番可愛がってくれたのは、靴屋のおじいさんだった。おじいさんはおばあさんと二人暮らしで、二人ともうちに良くしてくれた。庭に小さな掘っ立て小屋を建て、靴の修理を生業に暮らしていた。ある日、おじいさんは私と散歩にでかけ、パン屋🥯で飲み物を買ってくれた。「どれがいい?」おじいさんの問いかけに私は、すかさず瓶を指した。それは真っ赤でとてもきれいだった。蓋を取ってもらい、ゴクリと飲んだ私は、おじいさんに「いらない」と言った。その時のおじいさんの困ったような苦笑いが、今も脳裏に浮かぶ…あれが私の初トマト🍅ジュースである。私が幼稚園📛の時、おじいさんは死んだ…あれが最初の悲しみである。